5/2映画紹介記事更新しました!!

【映画】『ランボー』(1982)

作品情報・キャスト・あらすじ・ネタバレなしの感想

目次

作品情報

作品名ランボー
原題First Blood
公開日1982年
上映時間97分
監督テッド・コッチェフ
主演シルヴェスター・スタローン
配給オライオン・ピクチャーズ

キャスト

あらすじ

 1981年の12月、ベトナム帰還兵のランボーは戦友を訪ね、ワシントン州の田舎町を訪ねていた。苦労の末、ようやく住所を特定したのだが・・。

感想

 どうも、こんにちは~😊。

 今回は、コレ。「ランボー」を紹介していきますね~w。

 人気があって、シリーズ化された作品なんですが・・。

 どうですか皆さん、”ランボー”と言ったら何想像しますかね?。

 銃乱射しまくって、バンバン爆発させて、一人で敵を倒しまくるって、イメージ持ってませんかね?。

 ただこれはね~、シリーズ化の弊害だとオッサンは思ってるんですよ( ;∀;)。

 ”ランボー”という作品を通して、本当に、真に言いたかった事はこの第一作目のラスト。

 ここに、凝縮されていると思うんですよね~。

 そういう事もあり、他とはちょっと雰囲気が違う、この作品。

 戦争大国アメリカが抱える問題を浮き彫りにした、傑作映画でした(#^^#)。

様々な戦争映画観てきましたが、
この作品のラストは別格ですね。

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • いつも楽しく、この”酔いどれ映画館”というブログを拝読しています。
    私の好きな映画の1本「ランボー」の紹介をされていますので、コメントしたいと思います。

    この映画は、ヴェトナム戦争を経験したアメリカの抱える内部矛盾を描いた傑作だと思います。

    映画「ランボー」は、デヴィッド・マレルの小説「一人だけの軍隊」の映画化で原題を”FIRST BLOOD”といい、”ランボーシリーズ”の記念すべき第1作目の作品となっていますね。

    シルヴェスター・スタローン演じるランボーは、かつてヴェトナムで戦った特殊部隊グリーン・ベレーの生き残りで、ヴェトナム帰りの彼が、地方の小都市をひたすら暗く絶望的な表情で、まるで浮浪者のように歩いているシーンから映画は始まります。

    これから何かが起きそうな予感を漂わせた鮮やかな冒頭シーンで、これから始まる映画的世界への期待と興奮でワクワクさせる見事なテッド・コッチェフ監督の演出です。

    死線を越えてようやく帰ったアメリカなのに、故郷は彼を歓迎してはくれず、ヴェトナム時代の戦友を訪ねてこの小都市へやって来たが、その戦友も戦争後遺症ですでに死んでいました。

    虚脱状態でこの町を歩いている時、ランボーは、保安官から浮浪者として留置される事になります。
    そしてこの留置された時のエピソードが、この映画の中で非常に重要な意味を持つ事になります。

    終始無言のランボー、保安官助手たちはそんな彼に暴行を加えます。
    初めはじっと耐えていますが、彼のヒゲを剃ろうと持ち出した剃刀を見た時、彼は突然、暴れ出し、数人の署員を全部たたきのめして脱走します。

    ランボーの脳裏にヴェトナムの血の記憶と共に戦闘意識が甦るこのシーンは、寡黙で生気を失っていたランボーが、かつての特殊部隊員としての血に目覚め、戦う男として復活する鮮やかなシーンを実にうまく演じています。

    山林へ逃げ込んだ彼は、保安官や軍隊を相手にたった一人で戦います。
    それまでだったら、スティーヴ・マックィーンがぴったりだったような役柄をスタローンは「ロッキー」以上にシェイプアップした肉体で演じ切ります。
    “肉体の躍動こそ俳優の基本”である事をスタローンはあらためて教えてくれます。

    このランボーが近くの山林へ立てこもり、彼を逮捕にやって来る警官を特殊な戦闘能力を身に付けたランボーは、次々と鮮やかな方法で殺していきます。
    そこへ、ヴェトナム戦争時の上司のリチャード・クレンナ演じるトラウトマン大佐が現われ、保安官に、「お前のかなう相手じゃない、ランボーは。グリーンベレーの精鋭だった。ゲリラの名人、殺人の天才だ」と語り、ここでランボーの正体が明らかになり、我々観る者は納得するという映画的な仕掛けになっています。

    このようにして、山林の中はランボーによる陰惨な殺しの場面となっていきますが、スタローンの寡黙で暗く、厳しくハードな表情には鬼気迫る凄みがあり、「ロッキー」のアメリカン・ドリームを基調とした楽天的な根性に対して、「ランボー」のスタローンは、いわば陰画的な色彩を帯びた人物像をうまく体現しています。

    そして、遂に町を火の海と化してしまい、壊滅状態に陥らせますが、説得に来たトラウトマン大佐を前にして彼は、「ヴェトナム時代には、まだ友情もあった。だが、戦争が終わった今の俺は何だ。誰にも相手にされない。全くの孤独だ。あれは一体、何のためにやったんだ」と内なる心の叫びを声に出して言います。

    この映画の原題名の”FIRST BLOOD”というのは、”最初に見た血の記憶”という含みと共に、”仕掛ける”という意味もあります。

    今回の事件を本当に仕掛けたのは、一体誰なのか? 保安官の指示に従わなかったランボーか、彼を痛めつけた保安官たちか。

    この映画には、3人の主要人物が登場します。極限まで鍛えられた肉体で戦い続けるランボー。
    戦う事のみを教えられた彼は、社会的な順応が出来ません。
    その彼を追う保安官。
    自分たちの町の平和を守るための行動ですが、よそ者を排除するという行為に、アメリカ人の心の奥底に潜む保守性がまざまざと見え隠れします。

    保安官は、州警察の指揮をも拒否し、「ここは俺たちの町だ!」と叫びます。
    この保安官のキャラクターは、任命採用される警察官ではなく、住民たちの選挙で選ばれた保安官であるという事が、重要な鍵になります。
    つまり、保安官というのは住民の象徴になっているのだと思います。

    そして、もう一人がランボーを特殊部隊グリーン・ベレーの戦闘員に育て上げた元上司のトラウトマン大佐。
    ランボーの戦い方を得意気に見抜き、強さを語る、鼻持ちならない男。
    彼こそ戦争を仕掛けた男かもしれません。

    映画を観終えた後に思うのは、テッド・コッチェフ監督が描きたかったのは、権力に対する抗議の戦いというものではなく、ヴェトナム戦争を経験したアメリカが当時抱えていた内部矛盾のその姿ではないでしょうか。
    この映画の3つの人間像はその象徴であるような気がします。

    ヴェトナム戦争の後遺症としての深い傷が、当時のアメリカには根強く残っていて、この映画「ランボー」は、派手なアクションの背後に意味じくもこの事を映し出し、我々観る者に強い衝撃を与えたのだと思います。

    そして、ラストの解決は、一見甘いようにも見えますが、戦争のプロによる平和恢復というところに、”もの凄い皮肉と不安”があるような気がしてなりません。

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